「スケジュール調整」へのコメントで「市民音楽祭」についてありましたので、「市民音楽祭」の元祖について掲載します。現在活発に演奏活動を展開している市内在住のピアニスト真保響さんと市内最初の社会人吹奏楽団が市内団体に呼びかけて開催したものです。
真保響さんが初めてのリサイタルを開催し、深川に帰郷し活動を始めた頃、市内最初の社会吹奏楽団「深川吹奏楽サークル」が結成されました。
結成したばかりでぜい弱な吹奏楽団に、真保響さんはプロとアマチュアの垣根なく指導と援助をしてくれました。
そして、ぜひ本格的なコンサートをやろうということになり、どうせやるなら当時演奏機会が少ない学生や他のアマチュア団体にも出演してもらおうということになりました。そして合同の演奏も入れようということになり、名称を「深川市民音楽祭」とし1980年の始まりです。
40年程前、私も中学から吹奏楽を始めましたが弱小編成であったため、編成の大きい他校や高校がうらやましく思っていましたが、当時は交流できる方策を知りませんでした。そしてそれは社会人楽団を結成した頃も同じでした。
そこで中学から社会人まで一緒にコンサートまでの3カ月間、毎週日曜日に私達社会人が全ての学校の楽器を運び練習した甲斐があり、交流が深まりました。
その後、吹奏楽だけではなく様々な演奏団体が出演しながら1996年まで継続し、その後吹奏楽の交流は「交歓演奏会」という形に引き継がれています。
このような歴史を刻んだのが元祖「市民音楽祭」であり、現在舞芸協が開催する「市民音楽祭」は名称が同じですが、まったく違うものです。ただし、企画の基は元祖「市民音楽祭」にあるかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (5)
それが大人のかってな考えのためですからね。回りに目を配らず、自分達のことしか考えていないのですね。
主催団体には、この実態を真摯に受け止めてほしいものです。
お子様の指摘の「生き文VSみらいの対決」というのは、いい所を突いていると思います。
結局は、芸術祭は時期が決まっているにもかかわらず、「市民音楽祭」の主催者は文化部門を統括していると言っているにもかかわらず、回りに感心を寄せずに自分たちのことしか考えなかったということでしょう。
ここに記入されたことが多くの方の目に留まるといいのですが、なかなかそうでもないようです。
以前に掲載したように、芸術祭と「市民音楽祭」を主催する団体の一部役員は兼務しています。私も芸術祭は舞台のサポートをしていますので、その際にその役員に今回のことをきっちり伝えたいと思います。
最近、学生(吹奏楽)が市等の行事で出演依頼されることが多くなっているようです。演奏機会が増えることは好ましい一面、それが毎週のようになっては学生自身に負担になるはずです。
一つの目標に向かって、じっくり練習を積んで、本番に集中力を発揮することを学ばせることも大事なはずです。
依頼する側は意外と回りの行事が分かっていなく、顧問の先生の判断が大事ですね。