先日深川市民吹奏楽団の演奏会が開催され、新たな若者たちの音楽活動が始まったことは地域の文化にとってとても嬉しいことです。私もずっと地元の音楽と深い関わりを持って来ましたが、さすがに50歳半ばを過ぎるとこのような新たな動きとは縁が薄くなってしまいました。また、若い彼らははこれまでの歩みなど知る由もないと思います。そこで、今回吹奏楽関係のこれまでの深川での歩みを市民バンドを中心に3回シリーズで記しておきたいと思います。ただ、これらはあくまで私の記憶の中のもので誤りもあるかも知れませんが、ご了承いただきたいとおもいます。
さて、深川における吹奏楽は、深川中学校、一已中学校、東高校、農業高校で活動が行われていました。当時は旭川での音楽大行進にも各学校とも出場しており、市内でも商工まつりなどのパレード等、市民はパレードで吹奏楽に触れる機会が多くありました。なお東高校と農業高校はパレードには合同で参加することが多かったようです。
そしてコンクール関係では東高校は1970年代前半までは全道大会の常連、当時は深川からは旭川地区大会に出場していたので、旭川の強豪校と競い合っていたのです。また、農業高校も全道の出場経験があり、一已中学校も出場していました。一方1970年頃、深川小学校の鼓笛隊にトランペットが入り、その後スクールバンドへと変わって行き、各種大会に積極的に出場するようになります。
当時の中学校の活動は深川中より一已中の方が盛んで充実していました。進級してくる深川小にスクールバンドがあったのに不思議な現象でしたが、実はスクールバンド経験者はあまり中学では吹奏楽をやりたがらなかったのです。また高校でも意外と経験者が多かった訳ではなく、あまり学校間の交流はなかったということで、中々楽器を続けていく意識も薄かったということかもしれません。その後は農業高校の部活は廃部、東高校も1980年頃からは部員が減少し、活動が衰退して行きます。
そして市民バンドができたのは1979年です。
コメント
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ありがとうございます。
時代を感じる画像ですよね。本当はもっと良い写真があるはずなのですが、私の手元の写真なもので、ご勘弁ください。